今日も、平凡な一日が過ぎていく。
学校の食堂に行くと、アイザックがランチを取っていた。
「いい食べっぷりだなー」
がふがふ
食べ残しの皿を避けて、別のテーブルに座ると、アイザックが隣りから移って
きた。
「こないだ、ごめんなー」
「え?ああ…こっちこそ、忙しい時に悪かったよ」
ウェイターが料理をひっくり返すなんて、ざらにある事故だ。あそこの店長は
まるで見せしめにでもするかのように、客の前でアイザックを怒っていたけど、
原因となった僕としては、却って申し訳ないような気持になっただけだ。
アイザックは、よくああいう職場で頑張ってるよな…。
「あそこの店長、怖いな」
「従業員を怒鳴るのが趣味、みたいなヤツなんだよ」
「ま、いいんだけどさ。あそこ、もう辞めようと思ってるから」
「え?」
「それって…まさか僕のせいでクビとか?」
「ははは、ちがうって」
アイザックは、笑いながら言った。
「単に俺が、あの店に見切りつけたってだけ。レオンも見ただろ、従業員
への扱いひどいんだよ」
「そうだな」
僕は同意した。
ちょっと立ち寄っただけでも、アイザックの目が回るような忙しさは見て取れ
た。客を案内するバーナードも、それなりに忙しそうではあったけれど、テー
ブルの片付けや注文を、全てバイト一人にこなさせるのは、酷なんじゃない
かと思った。
「あそこ、平日の昼はどうしてるんだ?」
「店長の奥さんが働いてる。でもランチが終わると、俺と交代して帰るんだ」
「ふうん…」
一日、働かないのか。
「ああいう小さな店は、夫婦共働きってイメージがあるけどな」
「夫婦仲、良くないんだよ。息子が一人いるらしいけど、親子仲も悪いらしい。
って、コックのサニーが言ってた」
なるほど。
バーナードのかりかりした態度には、その辺の家庭の事情も背景にあるのか
もしれないな。きっと、あんまり満たされない人生なんだろう。
「ま、一番の原因は、給料払ってくれないからなんだけどな」
「げ、うそ」
「まじで。今月の分、まだもらってない」
それじゃ、待遇ひどいどころじゃない。雇用関係が破綻してるじゃないか。
そんな店、辞めて当然だ。
その後、僕は昨日の客のことを話題にした。
「そーいや昨日、新聞記者がうちに訪ねてきてさ」
「記者あ?うっそ、レオン、お前いつからそんな有名人に…」
「違うって。なんか、放火犯の事件について、取材してるんだってさ。ほら、
最初の事件が起きたのって、うちの近所だろ」
「あーそうだっけ」
「そうなんだよ。ロビンスって言う、サラリーマンの家」
近所とは言っても、付き合いはないんだけどね。
正直、僕はロビンス家の人たちのこと、あんまり好きじゃない。
“放火犯について、どう思う?”
そう言えば、あの記者の女性に、そんな質問をされたっけ。
…上手く、答えられなかったな。
僕はどっちかって言うと口下手で、とっさに気の利いた事を言うことができな
い。放火犯についてだって、
「許せないと思います。一刻も早くつかまってほしいです」
とか
「きっと何か、鬱屈した思いを抱えている人間の犯行だと思います」
だとかさ。
簡潔ながらきっぱりとした口調で、カッコ良くインタビューに答えたかったよ。
けど、そういう言葉は大抵、インタビュアーが去ってから思いつくんだよな。
ただ事件の報道以来、放火犯の動機について、僕がぼんやりと思いをめぐ
らせていることは事実だった。
ひょっとすると、僕は犯人にある種のシンパシーを、感じているのかもしれない。
例えば、レナードのやつに、自分自身や家族を貶められたり。
母さんの秘密主義にいらいらしたり。
…。
そんな時、行き場のない怒りが胸の中をうずまいて、どうしようもなくなる。
みんな消えてしまえ、と八つ当たりめいた気持を抱くこともある。
消えてしまえ、という思いと、燃えてしまえという思いは、案外とても立ち位
置が近いんじゃないだろうか。
「…どうしたんだ、レオン?」
「え?」
ちょっと、ぼんやりしていたらしい。
「男二人で昼飯か、さみしいな、お前ら」
背後から、嫌味な声が聞こえた。
「…」
また、こいつか。
「お前と違って、友達がいるからさ、ブラック」
「言うじゃねえか」
「僕に話しかけるなよ」
「お前こそ、俺の視界に入るな。見てるとイライラするんだよ」
それは、こっちの台詞だ!
腹の中で呟く。
レナードの一言一言に、怒りのメーターが、ぐんぐんと上がるのを感じる。
こめかみが熱い。
いつも、こうだ。
レナード・ブラックは、多分僕をわざと怒らせたがってるんだ。いつも余裕しゃ
くしゃくな態度で僕を上から見下ろして、それだけじゃ飽き足らず、隙あらば
より屈辱的な位置に置こうとする。
僕が、こいつに何をしたって言うんだ。
「んだよ、何か言いたいことがあるなら、言えよ、オラ」
ドンッ
立ち上がりかけたところを引きずられ、胸を強い力で突き飛ばされた。
思わず、咳き込む。
「いい加減にしろよ、お前ら」
がたんっと、音をたててアイザックが立ち上がった。
「レナード、お前、何でそうレオンを挑発すんだよ?いつも仕掛けるのは、お
前の方じゃないか、何がそう気に食わないんだよ」
アイザックが、僕の気持を代弁してくれた。
出来れば自分で言いたかったけど、怒りと生来の口下手で、僕はレナード
にケンカをふっかけられると、いつも以上に言葉が出てこなくなる。
「うるせーな、お前は関係ないだろ、引っ込んでろウェルズ」
レナードは、鬱陶しそうにアイザックを睨む。
「何が気に食わないって?こいつの全部だよ、やる事なすことイラついて
仕方ないんだよ、声も、甘ちゃんな顔つきも、全部だ!」
「ふざけるな!僕だって、お前なんか大嫌いだ」
やっと、大きな声が出た。
ああ、くそ。このままいくと、確実にケンカになるな…
ケンカは嫌いだけど、しょうがない。男にはやらなきゃいけない時もある。
…
僕はみがまえた。
しかし、その時。
「お前ら、何してる!」
校長だった。
いつの間にか、食堂に来ていたのだ。ちっとも気がつかなかった。
まずい展開だった。
最近、生徒間のケンカ沙汰に対して、教師達はひどく敏感になっている。
中でもバービーとキッド、それに僕とレナードは、度々小競り合いを起こす
存在として目をつけられていた。
「ブラック、ブロッサム!学校は何をするところだ?互いに暴力を振るう場所
か?答えてみろ、ブラック!」
「うるせーな、しゃしゃり出て来んじゃねーよ!」
相当、頭に血が上っているのか、校長を前にしてもレナードの攻撃性は全く
衰えない。
「親呼ぶか?上等だ、親だろうが神様だろうが、呼んで来いよ。そんな事で
人を止められると思うんならな!」
親、と聞いて胸がどきっとした。
夜、僕達に気づかれぬよう、一人で涙を流していた母さんの顔が不意に
脳裏をよぎる。
「教師に向かってそんな口の聞きかたをして…」
ラムゼイ校長の顔色は、赤を通り越して紫色に近くなった。
が、一呼吸置いて、何とか理性を保ったようだ。
「いいだろう、お前は保護者呼び出しだ。それから停学を覚悟しておくように」
「勝手にしろ」
…レナードには、怖いものがないんだろうか。
少なくとも、教師や親のことは恐れていないようだ。僕は違う。
「先生、これには理由があって…」
僕が言いかけると、ラムゼイ校長にすごい勢いでさえぎられた。
「ああ、聞かん、聞かん!!ケンカに双方の言い分なんか聞いたところで、
無意味だ!」
…正論かもしれないが。
「もうすぐ卒業だろう、こんな大事な時期に、揉め事を起こしてどうする!保
護者の間でも、暴力事件が頻発していると、大いに噂になっている。お前
たち卒業したくないのか!?」
「…」
「お前達、高校生にもなって、分らんのか?お前たちの引き起こす問題は、
たとえ発端がプライベートな事であっても、周囲に影響を及ぼすんだ。BR
ハイスクールの評判が、お前達のせいで下がる。お前達は学校に、ひい
ては他の学生迷惑をかけているんだ!なぜ、それに気がつかない!?」
…
結局、校長の言いたい事は、学校の評判を落とすなってことかよ。
こっちの言い分なんて、聞こうともしない。
僕がレナードに、どれだけ腹の立つことをされ、ヤツの攻撃に学校生活を乱さ
れているか。どれだけ迷惑してるか。
そんな事情を、推し量りもしない。
世の中、なにか間違ってる。
僕は震えるこぶしを握り締めながら、唇をかみしめた。
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