今日も、僕が署へと帰還したのは、とっぷりと日が暮れてからだった。
連続放火魔は・・・・・・・・未だ、上がっていない。
思わずもらした溜め息に、疲労がにじんだ。
毎日、毎日、足を棒のようにして歩き回っても、煩雑な情報に振り回される
ばっかりで、ちっとも結果は得られない。
逆に、フロータウン一帯にはびこる、犯罪組織まで放火犯探しを始めたという
ありがたくない情報も入ってきていた。
警察の努力にも関わらず、街は不穏になる一方だ。
もし、犯罪組織が警察より先に犯人を捕まえてしまったら…。
時折、そんな悪夢のような不安が胸をよぎる。
まさかとは思うけど、可能性は皆無じゃない。もしそうなれば、警察の威信は
丸つぶれ、おそらく犯人の命は奪われ、事件の真相は闇に葬られるだろう。
一課に戻ると、兄貴はノートパソコンのキーをせわしなげにカチャカチャと叩
いていた。報告書でも作成しているんだろうか。
「兄貴…じゃなかった、ハート警部、遅いですね」
「ああ、どうだった聞き込みは」
「収穫なしです」
「そうか」
「一体、何の報告書を…」
言いかけて、口が止まった。
パソコンの画面に映っていたのは、見慣れたテキストエディタのウィンドウ
ではなく、明らかにインターネットの掲示板だったからだ。
兄貴はさっきから、熱心にそこへ書き込んでいたのだ。
「勤務時間中に、何してるんだよ、兄貴」
思わず、刑事の仮面がはがれてしまった。
「んー?」
僕は、呆れて言葉もなかった。
次いで、怒りが湧いてきた。
「僕や他の刑事達が、毎日毎日、靴の底すり減らしながら現場を回ってるっ
て、知ってるだろ?」
「もちろん」
兄貴は涼しい顔で答える。
パソコンの画面を隠すような様子もない。
「仕事はきついだろうが、今は大事な時期だ。もう少し辛抱してくれよ」
「そんな事言ってるんじゃない」
いらいらするあまり、大声を出してしまった。
「だから、そんな大事な時期にパソコンで遊ぶひまがあるんなら、兄貴も外回
りしろって言ってるんだよ!」
「おい、マイケル。なに、怒ってるんだよ」
「腹減ってるのか?夕飯がまだなら、今日うちで一緒に食うか」
「…」
兄貴は、いつもこうだ。
のらりくらりとして、僕の怒りの矛先をかわしてしまう。
「…現場を指揮する兄貴がそんなだから…放火犯も捕まらないんだっ」
足音がした。
「ハート、どうかしたか?」
ダンカーだった。
僕は兄貴とダンカーの顔を交互に眺めた後、無言のまま、その場から足早
に立ち去った。
…
…。
八つ当たりを、してしまった。
兄貴がパソコンで何をしていたかは知らないが、多分、遊んでいたわけじゃ
ないんだろう。
ただ、結果を出せない焦りと、現況への不安で、どうしようもなくなっていた。
そもそも、僕は兄貴の能力を未だにはかりきれていない。
本当に有能なのか、彼に従っていっていいのか?
家族として愛している一方で、組織の一員としての兄貴を、僕はまだ信用
できずにいる…。
「兄貴を、信用してやれよ、ハート」
僕の胸中を見抜いたかのように、背後で声がした。
ダンカーだ。
「さっきは、失礼しました。見苦しいところを見せて…」
「なに、捜査が長引いている。いらつくのも分るさ」
「…はい」
「うなぎみたいな男だな、アダム・ハートは」
「…」
「俺は、アイツがまだ巡査だった頃から知ってるよ。いつもニコニコして、人当
たりがよくってなあ。頼りなさそうな若造だと、内心なめてかかったもんだ」
…
確かに、兄貴はいつも笑顔だ。
もともと顔立ちが優しいし、声の調子や物腰もやわらかで、人に警戒心を抱か
せないタイプの男なんだ。
「だがな、つき合うにつれて分ってきた。あれは外見ほど、やわじゃないし、お
人良しでもない。むしろ誰よりも深く物事を考えてる男だ」
「そうでしょうか」
僕は少し疑問だった。
「お前にも、いずれ分るよ」
あとな、とダンカーは付け加えた。
「さっき、あいつが見ていた掲示板は、市民から多数の情報が寄せられる
掲示板群の一部だよ」
「?」
「放火犯についてのスレッドが、複数できてる。あいつは仕事の合間に、
ずっとその内容をチェックしてるんだ。」
「…そう、だったんですか」
「ま、有象無象が書き込むものだから、内容の真偽は怪しいだろうな。だが
仮にAという書き込みがされた場合、Aの内容そのものより、書き手がなぜ
Aを書いたのか、という推論は出来る。ハート警部補は自分のセンサーに
引っかかる情報を逐一チェックして、俺に報告してるのさ」
…
「兄貴…」
「んー?」
カチョカチョ、とマウスのクリック音が、静寂の中に響く。
「さっきは、八つ当たりして、ごめん」
「お前は腹が減ると、いつもそうだよ」
「ごめん」
兄貴は顔を上げて、笑った。
「今晩、うちに来るだろ?」
…
僕は、こくんと子供のようにうなずいた。
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