俺が、警察から戻った日の夕方。
家族のみんなが、晩餐を共にするために続々と家を訪れてくれた。メンバー
は、兄貴のマイケルと、姉貴のガーティ、そして姉貴の旦那、ジェシーだ。
「アイザック」
兄貴の声が、すごくなつかしく感じられた。
「…無事に戻れてよかった」
「兄貴、色々とありがとう」
「なーに、神妙な顔で言ってやがる」
兄貴はにやっと笑い、そして言った。
「よく頑張ったな」
その一言で、不覚にも、じわっと涙が出そうになった。
実を言えば、今回、俺は何も頑張ってなんかない。警察の権威の前に縮み
上がり、拘置所でべそかきながら、震えることしかできなかった。
…こんなことが起きる前は、もう少し自分は強い男だと思っていたんだけどな。
いざとなると、けっこう、俺は弱い人間だった。
だから、本当に頑張ってくれたのは、兄貴を始めとする、俺の家族だ。
だって、俺が拘留されていた間。
母さんたちや姉貴は忙しい合間をぬって、何度も何度も、警察と家の間を行
き来してくれていた。
兄貴は警察の対応に激怒しながらも、弁護士との話し合いに奔走してくれた。
警察に拘留されている間――――俺はずっと、一人じゃなかった。
それが分っただけで、今回の苦い体験は、帳消しになるような気分だった。
「父さん、色々と心配かけて、ごめん」
俺の言葉に、親父は嬉しそうに笑った。
「今回は、いつもと立場が逆だったなア」
「はは…」
そう言えば、そうだったかもしれない。
姉貴には、ちょっぴり怒られた。
「もーあんた、母さんを心配させちゃダメでしょ、もう年なんだから」
「うん。ホント、ごめん」
「あんたに油断やスキがあるから、変な事件に巻き込まれるのよ。もっと普段
から気合入れなさいよ」
「分ったよ、もう」
でもその後、姉貴は俺の頭をぽんぽん、と叩いて
「戻ってこれて、よかった」
と、ぽつりと呟いた。
その目が少しうるんで見えて、思わず見間違いじゃないかと目をこすりそうに
なった。
…
一方、母さんは。
思い思いの話題に興じるゲストを尻目に、せっせと夕飯の準備にかかってい
る。
「ポークチョップか。へえ奮発したもんだな、母さん」
「ごちゃごちゃ喋ってないで、席につきな。もうよそっちまうから」
…
にぎやかな食卓に、そろそろ空の皿が目立ち始めたころ。
親父がいきなり、グラスを持ち上げて、言った。
「乾杯しよう。アイザックの釈放を祝って!」
いや親父、俺は別に逮捕されたわけじゃないので、釈放って表現はどうだ
ろう。まあ、こういう時、どんな表現が妥当なのか、俺もよく知らないんだけ
ど…。
「…」
ま、いいか。この際、こまかいことは。
「乾杯!」
…
警察に連行された、あの悪夢の夜以来、この日の晩は俺にとって、もっとも
幸福な夜となった。
…
やがて、ガーティたちが帰り…
兄貴は、今日、久々に家に泊まっていくという。
嬉しくって、俺は明日が学校だというのに、随分遅い時間まで、兄貴とずっと
語り合ってしまった。
その中で、兄貴にこんなことを聞かれた。
「アイザック、お前、将来についてどう考えてる?」
「・・・・」
将来、か。
「昔から、実業家になるのが夢だったし、それは今でも変わらないよ」
「そうか」
「でも、今回の件とか、あと他にも色々とあったから…考えたことがある」
俺の答えに、兄貴は眼鏡をちょっと動かして、興味深げに聞いた。
「なんだ?」
「うん。なんかさ、俺…単に金をもうけるだけじゃなくて、もっとそれ以上のこと
がしたい。世の中の役に立つとか…とにかく、どこに出ても胸を張れるような
人間になりたいと思った」
世が更けて、辺りもしんと静まり返っている。
兄貴の穏やかな目を見返しながら、俺は続けた。
「世の中って、本当にいやなやつがいっぱいいる。でも仕事して金を稼ぐって
すっげー大変なことで、頑張って頑張って、その挙句に道を見失う人間が出る
のも何となく分る気がするんだ。
俺、自分もそうなる可能性があると思う。けど、なりたくないんだ」
そう、例えば、バーナードのような人間には。
俺は従業員を見下したり、給料をピンはねしたりする、そんなモラルに欠けた
経営者には絶対にならない。まっすぐで、清廉な経営者になるんだ。
「なるほど、お前の言いたいことは理解できるよ、アイザック」
けどな、と兄貴は言った。
「もしお前が事業で本当に成功を収めたいのなら、今言ったことを実行に移す
のは相当に難しいぞ。おそらく、お前が考えている以上にだ」
「・・・・」
「お前も、そして俺も、ゼロから起業する立場だ。なんの基盤があるわけでも
コネがあるわけでもない。資金力は貧弱、あらゆる経験をイチから積まなくちゃ
ならない・・・俺たちは、恵まれた人間に比べればスタート地点からして、何km
も後方にいるんだ、それはお前も分ってるな?」
「…分ってる」
「お前の考えは正しいよ。確かに経済人として失っちゃいけない姿勢だ。けど
一番大切なのは、現実をしっかり見極めて、あくまでもその中で最善を尽くすこ
とだ。」
最善を尽くす、か…。
「分ったよ、兄貴」
俺は、うなずいた。
…
やがて、俺たちは各自のベッドに入った。
なかなか寝付けず、俺はなんとなく十年後、二十年後のことを想像してみた。
例えば、高級車を乗りまわし、財界の大物とパワーランチをとる俺の姿。
海外を飛び回り、各地の支店や工場の視察をする兄貴の姿。
その頃になっても、俺たち家族は、今のようにしっかりと結びついていられる
だろうか?今日の晩の暖かな乾杯を、忘れずにいられるだろうか?
まだ見ぬ未来に思いを馳せながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。
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