さらさらさら…
シャープペンが、ノートのページ上を走る音だけが、静かな室内に響く。
ああ、この空間、落ち着くな~。図書室って、本当に好き。
気持ちよく、作業に集中できる、あたしにとっては殆ど唯一の場所だ。
家は狭いし、何より双子ちゃんたちの『遊んで攻撃』が物凄いからねえ。
お姉ちゃんだって、時には家族も何もかも忘れて、取り組みたいことがある
んだぞ、おちびちゃんたち。
この学校の生徒は、みなあまり図書室を利用しない。国の法案で、『シム』国
籍を持つ全ての学生は、宿題を家に持ち帰るようにと定められているからだ。
まあ、単純に本を読む人間がいない、ということもある。
カチャ
「ポーター、まだ残ってたのか」
ラムゼイ校長だった。
「いつも熱心だな、ポーター」
すみません、勉強してるわけじゃないんですよ、先生…。
「その調子で、進学に向けて努力していってくれよ、君には学校中が期待し
ているんだから」
「はあ」
学校中ねえ。
マリーやロザリーが、ママに何かねだる時に言う「クラスのみんなが持ってる」
の「みんな」みたいなものかな。
ラムゼイ校長は、とにかく『ボク進学率あげたいの!』という意思表示が明確だ。
良くも悪くも態度がはっきりしてる人なんだよね。
そう言えば、まだ独身。婚約者がいるって風の噂で聞いたけど、こういう男性と
お付き合いする女性って、一体どんな人なんだろう。
「帰りには、鍵を職員室に戻していきなさい」
「分かりました」
…バタン。
さて、教師がやっと出て行ったところで、作業ふたたび開始だ。
実はあたし、しばらく前からブライトリバーの市史について調べてるんだ。特
に目的があるわけじゃないけど…しいて言えば、将来のための修行かな?
今はとにかく、市立図書館で街の歴史について書かれた本を探したり、町の
老人に話を聞いたりして、地道な情報収集に明け暮れている段階だ。
移民時代から、現在のブライトリバー市に至るまでの経緯は、さすがに幅が
広くて大まかにしかまとめることは出来なかったけれど、ここ数十年の動きに
ついては、そこそこ細かく調べられていると思う。
今、あたしが関心を持っている人物は二人。
一人は、故パーシー・ライト。前ブライトリバー市長。
自由ミルヒー党の前党首で、アダマス・コーポレーション等、巨大企業の
誘致によって、フロータウンを急成長させた立役者だ。
もう一人は、マルコム・ランドグラーブ。
ラマ友民党の名誉議員で、現在はBRにおける保守派のリーダーだ。
一時、斜陽気味だったランドグラーブ家を、ここ十年ほどのあいだにもりもり
建て直した、すごい経済人でもある。少し前に、若い奥さんをもらったそうだ。
ブライトリバーは、とにかく、パーシー前とパーシー後に分けられる、と言われ
ている。そしてマルコムは、もちろんブライトリバーに大きな影響力を持つ、ラン
ドグラーブの末裔。
この二人の人物像に迫ることは、市史への具体的なアプローチになると思うん
だよね。あー残念、パーシーの存命中にインタビューしてみたかった!
ガチャ
「ん?」
なんだ、レナードじゃん。
「まだ帰ってなかったんだ、何してたの?」
「そっちこそ、テスト前でもないってのに勉強かよ、へーんーじーん」
小学生か、お前は。
「違うって、調べ物してたんだよ」
「調べ物?何だよ、見せてみろよ」
「まだ途中だからダメ」
「んだよ、けち」
けちで結構。記者は取材中のメモなんか、読者には見せないものです。
レナードとあたしは、不思議と小学生の頃から仲が良い。
いや、仲が良いっていうか、妙に気安い間柄なのだった。教室ではそれほど
接点がないけれどたまに、こうして二人きりになると、ぽつりぽつりと他愛も
無いおしゃべりをする。
あたしにとって、ハニーたちとはまた一風異なる、しかしそれなりに大事にして
いる友人関係だった。
「まだ帰らないのか」
「家に帰ったら、妹たちにしがみつかれて、何もできないからねー」
「ああ…そっか。あいつら、もうそんな大きいのか」
レナードが、何だか懐かしそうな顔をした。
そう言えば、レナードが前にうちに来たのって、いつだったかな。小学校の時
は時々、学校帰りに寄っていたのに、いつの間にかそんな習慣もすっかり無く
なってしまった。
「うちね、もうすぐまた生まれるんだよ、赤ちゃん」
「また?」
ええ、またですよ。
「レナードのとこも、弟さんもうすぐ大きくなるんじゃないの」
「ああ」
あたしが弟と言った瞬間、レナードの顔がふと暗くなった。分かるか分からない
か程度のわずかな変化だったけれど、あたしは見逃さなかった。
考えてみれば、図書室にレナードが来ること自体、珍しいことだった。
どうしたんだろ…何かあったのかな?
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